函館地方裁判所 昭和57年(ワ)290号 判決 1984年12月27日
原告
加茂義則
同
鈴木義彦
同
浜谷弘
同
高橋正勝
同
沼田詔治
同
平原宣幸
同
三好健司
同
下田勝己
同
谷口脩
同
石丸守
同
鈴木美男
同
大谷昭一
同
計良達朗
同
大越栄三
同
渡辺孝一
同
小川清治
同
成田隆雄
同
浜典正
同
安藤正広
同
森昭雄
原告ら訴訟代理人弁護士
後藤徹
同
齊藤了一
被告
函館ドック株式会社
右代表者代表取締役
相馬宏二
右訴訟代理人弁護士
瀧川誠男
主文
原告らの請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一当事者の求める裁判
一 請求の趣旨
1 被告は、原告らに対し、別紙(略)未払賃金目録記載の各金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
主文と同旨
第二当事者の主張
一 請求の原因
1 被告は、東京都に本店を、函館市、室蘭市等に事業所を置き(以下、函館市にある事業所を「函館造船所」、室蘭市にある事業所を「室蘭製作所」という。)、主として船舶艦艇の製造、修繕を営む株式会社である。
2 原告らは、それぞれ被告と雇用契約を締結して函館造船所に勤務する従業員であり、同所従業員で組織する総評全日本造船機械労働組合函館ドック函館分会(以下、「函館分会」という。)の組合員である。
なお、函館分会は、室蘭製作所の従業員で組織する総評全日本造船機械労働組合函館ドック室蘭分会(以下、「室蘭分会」という。)との間で、連合団体である函館ドック労働組合連合会(以下、「労連」という。)を組織している。
3(一) 被告の就業規則では、従来、従業員の勤務時間について始業午前八時、終業午後四時(一日の実働時間七時間)と定められていたところ、函館造船所及び室蘭製作所においては、毎年一二月二九日(同日が日曜日のときは一二月二八日。以下、「年末最終労働日」という。)の退場時刻を、遅くとも昭和二八年ころから午後二時一〇分、昭和四四年から午後二時とし、いずれも午後二時以降勤務した者に対してとくに時間給(但し、昭和四二年以降は時間割賃金)を加算支給するとの慣行的な取扱いがなされていた。
(二) 右年末最終労働日の取扱いは、ほぼ毎年の年末時期になされた団体交渉において労使間で確認されてきたものであるうえ、昭和四二年の団体交渉では、従来午後二時以降勤務した者に対して支給されていた時間給が時間割賃金に変更されたり、また、被告が労連に対して年末最終労働日の取扱いの廃止提案をなした際も、労使間の交渉の結果、従来どおりの取扱いを維持、存続することになったという経緯も存するところ、後記のとおり、昭和五二年になされた労働時間の短縮(以下、「時短」という。)をめぐる労使間の交渉の結果、同年六月一四日、改めて年末最終労働日の取扱いは従来どおりとする旨確認されたものである。
(三) 以上のように、右年末最終労働日の取扱いは長期間にわたって反覆、継続され、しかも労使双方が右取扱いに従うとの強固な規範意識をもってこれを実施してきたものであるから、右年末最終労働日の取扱いは労使双方を法的に拘束する労使慣行というべきである。
4 原告らは、いずれも被告の業務命令により、昭和五五年及び昭和五六年の各年末最終労働日である別表(略)「勤務年月日」欄記載の日に、同表「勤務時間」欄記載の時間勤務をしたところ、原告らの各年度の時間割賃金は、同表「時間割賃金額」欄記載のとおりであり、従って、原告らが労使慣行に基づき被告に対して請求しうべき各年度の未払賃金額は、同表「二時間一五分あたりの賃金額」欄記載のとおりである。
なお、原告らの時間割賃金の算出方法は次のとおりである。
時間割賃金=(基本給月額+勤務地手当+職務手当+食事手当+安全衛生管理者手当+消防手当+特労手当+レントゲン技師手当+指導員手当)÷166.1
5 よって、原告らは被告に対し、それぞれ未払賃金である別紙未払賃金目録記載の各金員の支払を求める。
二 請求の原因に対する認否
1 請求の原因1及び2の事実はいずれも認める。
2 同3について
(一)のうち、被告の就業規則では、従来、従業員の勤務時間について始業午前八時、終業午後四時(一日の実働時間七時間)と定められていたこと、函館造船所及び室蘭製作所において昭和四四年から年末最終労働日の退場時刻を午後二時とし、午後二時以降勤務した者に対して時間割賃金を支給したことは認め、その余の事実は否認する。昭和五一年の年末最終労働日の退場時刻は午後四時であり、昭和五二年以降のそれは午後四時一五分である。
なお、昭和五〇年までの右年末最終労働日の退場時刻の取扱いは、被告が函館造船所及び室蘭製作所において各々総務部長通達をもって毎年各所属従業員に対しその都度指示して行ってきたものであり、被告の許可の有無に関係なく当然に午後二時に退場できたというものではなく、また、被告が午後二時以降勤務した従業員に対し右時間割賃金を支給したのは、勤務を免除された多くの従業員との衡平上の見地から被告が恩恵的措置としてとくに支給したものである。
(二)の事実は否認する。年末最終労働日の取扱いは、前記のとおり被告がその裁量によって便宜的に行っていたものである。
(三)の事実は否認する。
3 同4のうち、原告らがその主張の日時、勤務時間に勤務した事実は認め、その余の事実は争う。
三 抗弁
1 時短に関する合意の成立
仮に、原告ら主張のような労使慣行が従来存在していたとしても、それは、労使間で昭和五二年六月一四日に成立した時短に関する合意によって破棄され、年末最終労働日は午後四時一五分退場の平常勤務日となったものである。
その合意に至った経過は、以下のとおりである。
(一) 昭和五〇年の時短交渉の経過
労連は、被告に対し、同年一〇月、現行の一日の労働時間七時間制を維持したまま週休二日制を実施することを目標とするが、当面は実働七時間、隔週休二日制を実施する旨の休日増による時短の要求をした。これに対し、被告は、一日の労働時間を据え置いたまま単に休日を増やすことは企業競争力を低下させることになるので応じられないと回答したものの、労連からの要望もあって、労使からなる時短小委員会を設置して時短問題を検討することにした。
なお、全国造船重機械労働組合連合会函館ドック労働組合(以下、「別組合」という。)からは、被告に対し、一日の労働時間を八時間とし、完全週休二日制を実施してほしい旨の要求がなされた。
(二) 昭和五一年の時短交渉の経過
(1) 右委員会で検討中の同年三月一日、労連は、被告に対し、春闘要求事項のひとつとして、年末年始の休日に一二月二九日と一月四日を加えることなどを内容とする時短の要求をなしたが、その際、労連側から一二月二九日とか一月四日という不完全就労日は廃止して休日にすべきであるという趣旨説明がなされた。
(2) ところで、当時の造船業界においては、労働組合からの時短要求に対し、単純に労働時間を減少させるのではなく、従来の労働条件全般を抜本的に見直し、年間総労働時間という総枠設定の可否を検討して時短要求に応じているのが実情であり、その際、従来の不完全就労日等の廃止を伴うのが通例であった。被告も、時短導入にあたっては、年間総労働時間の総枠を設定し、一日の労働時間を延長したうえで、従来の就業体制を全面的に見直し、不完全就労日を廃止するとともに就業規律の基準を確立するというまったく新しい労働時間制度を創設するとの基本方針に従って、労連及び別組合に対し、昭和五一年四月三〇日から同年五月一日になされた各団体交渉において、一日の労働時間を一五分延長して年間休日を現行に比して一六日間増やすが、その際不完全就労日は廃止するなどの回答をしたところ、別組合はこれを受け入れたが、労連はその回答の受諾を拒否するに至った。
(三) 昭和五二年の時短交渉の経過と時短に関する合意の成立
(1) 労連は、被告に対し、同年二月、「一日の労働時間を一五分延長しても隔週土曜休日を確立する。そのために、第一年度(昭和五二年)は年間二〇日間の休日増を要求するが、これには一二月二九日及び一月四日を含まない。第二年度(昭和五三年)は年間二四日間の休日を設定する。第三年度(昭和五四年)以降は一日の労働時間を一五分削減する。」との要求を行った。
(2) これに対し、被告は、昭和五二年二月二三日、労連及び別組合に対し、時短の実施要領の大綱として、概ね以下のとおりの回答をなし、併せて就業規律の基準を具体的に明示した。
(イ) 始終業時間を次のとおり定め、一日の勤務時間を八時間一五分(実働時間七時間一五分)とする。
始業午前八時 終業午後四時一五分
(ロ) 年間の所定労働日数を二七七日、総労働時間を二〇〇八時間一五分と定め、現行の週休日及び慣例の有給休日のほかに一八日間の休日を新設するが、右休日の中には年末年始の休日として一二月二九日と一月四日を含む。
(ハ) なお、一二月二八日と一月五日は平常勤務日とする。
(3) しかし、労連及び別組合とも新設休日数が不足するなどの理由で右回答を受け入れなかったので、被告は、労連及び別組合に対し、右回答の一部を修正して、年間の所定労働日数を二七五日、総労働時間を一九九三時間四五分と定めて年間二〇日間の休日を新設する旨の提案をなしたところ、労連らは、新設休日数を二〇日間としたことを評価し、以後、被告と労連及び別組合とでそれぞれ構成する時短小委員会において、時短実施に伴う就業規律の基準等を検討することになった。
(4) 右委員会での検討は同年四月二〇日過ぎまでなされたが、同月二四日、時短問題は再び団体交渉で協議されることになり、被告と労連は、同月二八日及び同月三〇日に団体交渉を行ったが、労連は、年間二〇日間の休日新設は要求どおりなので納得するが、一二月二九日及び一月四日を右新設休日に含め、年末最終労働日(一二月二八日)及び出初めの日(一月五日)を平常勤務日とすることに反対である旨主張したのに対し、被告は、年間の総労働時間を一九九三時間四五分よりさらに短縮することはできないので、年末年始の勤務日を従来どおりの取扱いとすることはできないと主張し、労使間が対立した。
(5) そこで、被告は、右の膠着状態を打開するため、同年四月三〇日午後、労連執行部と非公式交渉(トップ交渉)をなしたが、その際、被告は、先の二月二三日回答及び三月二三日回答を基礎としてその一部を修正する形で、「年間二〇日間の新設休日には、年末年始の休日として一月四日を入れる。一二月二九日の取扱いは現行どおりとし、一月五日は平常勤務日とする。」旨の妥協案を提示した。しかし、この日はこれ以上突っ込んだ交渉はなされず、時短交渉は、五月の連休明けに持ち越されるに至った。
(6) 被告は、同年五月四日以降も労連と公式、非公式の交渉を重ねて時短問題を協議したが、同月一一日から同月一二日未明にかけて行われた労使交渉において、被告は、さらに「一月四日を新設休日に入れ、一月五日は労連の要求どおり従来の出初めの日の取扱いをするが、一二月二九日は平常勤務日とする。」旨の妥協案を提示し、労連執行部はこの案を受け入れるに至った。
(7) そこで、被告は、労連執行部と被告回答書案について内容の確認及び修正の作業をすませたうえ、同年五月一三日午後に開かれた団体交渉において、労連に対し、「賃上げ・諸要求に対する会社最終回答」と題する書面(以下、「被告最終回答書」という。)により、以下のとおり時短要求に対する被告の最終回答を行った。
(イ) 時短の大綱は次のとおりとする。
<1> 一日の勤務時間を八時間一五分(実働七時間一五分)とし、始終業時間を次のとおり定める。
始業 午前八時
終業 午後四時一五分
昼食休憩時間 正午から午後一時
<2> 年間の所定労働日数を二七五日、総労働時間を一九九三時間四五分(一か月の所定労働日数は二二・九日、一か月の所定労働時間は一六六・一時間)とする。
<3> 現行週休日及び慣例の有給休日のほかに、次のとおり年間二〇日間の休日を設ける。
a 毎月の第三土曜日(一二日)
但し、その週に慣例の有給休日があるときは、当該月の他の土曜日と振替える。
b 年末年始の休日として、現行のほかに一月四日(一日)
※ 一月五日は従来の出初めの日の取扱いとする。
c 夏季休日として現行八月の第一土曜日のほかに第一金曜日(一日)
d 指定休日として慣例の有給休日の少ない月の第一土曜日(六日)
e 昭和五二年度のカレンダーは別紙のとおりとする。
以上のように、被告最終回答は、例外となる一月五日のみを出初めの日と取扱うと明記していたのであって、年末最終労働日は平常勤務日として取扱う趣旨であることは明らかであった。
(8) 労連は、「労働時間短縮最終回答に関する提案」と題する書面に被告の最終回答を記載して組合員に配布し、職場討議を重ねたのち、同年六月一三日、組合大会を開催してその受諾を決定し、同月一四日、被告に対し、記名押印のある「時短要求受諾に関する通知書」と題する書面(以下、「受諾通知書」という。)により受諾の通知を行い、ここに時短に関する最終的な合意が成立した。
従って、年末最終労働日についての従来の取扱いは右合意によって破棄され、午後四時一五分退場と合意されたものである。
(9) なお、被告は、労連との交渉と並行して別組合とも時短交渉を重ね、同年五月一三日、別組合に対し、労連に対するのと同一の最終回答を行ったところ、別組合は、組合大会でその受諾を決定し、被告に対し、その旨を通知し、年末最終労働日は平常勤務日であり、その退場時刻は午後四時一五分であるとして、その所属組合員は、昭和五三年以降、被告の指示に従って午後四時一五分まで勤務している。
2 労働協約の締結
さらに、従来の労使慣行は、以下のとおり、昭和五二年六月一四日に締結された労連及び被告間の労働協約によって破棄されたものというべきである。
(一) 前記1(三)記載のとおり、被告は労連に対し、同年五月一三日、被告最終回答書をもって時短要求に対する回答をなしたところ、労連は、同年六月一三日、組合大会を開催してその受諾を決定し、同月一四日、被告に対し、受諾通知書をもってその旨の通知をした。
(二) 従って、労連が被告最終回答に対してそのとおり承諾する旨を書面で意思表示をしたことにより、時短に関する労働協約が成立したものというべきところ、右労働協約上、一月五日については例外的に「従来の出初めの日の取扱いとする。」旨の記載はあるが、一二月二九日の取扱いについては何らの記載もない。
(三) 労働協約の解釈にあたってはその文言を中心にすべきであり、右労働協約上の文理に照らすと、一二月二九日(年末最終労働日)は平常勤務日(始業午前八時、退場午後四時一五分)とされていることは明らかである。
四 抗弁に対する認否
1 抗弁1について
冒頭の事実は否認する。
(一)の事実は認める。
(二)のうち、労連が昭和五一年三月一日に被告主張のとおりの時短要求をなしたこと、被告が時短導入に際し新たな労働時間制度を確立しようとし、不完全就労日を廃止する意図があったこと、被告が労連に対しその主張のとおりの回答をし、労連がその受諾を拒否したことを認める。
(三)の(1)ないし(4)の事実は認める。(5)のうち、被告が非公式交渉においてその主張どおりの案を提示したことは認めるが、その余の事実は否認する。労連は、同日、右被告提案に対し、一月四日を休日増の日数に含めて一月五日を平常勤務日とする点を除いて了承したものである。(6)のうち、昭和五二年五月一一日から同月一二日にかけて行われた労使交渉において、被告主張のとおりの妥協案が提示されたことは認めるが、労連執行部がこれを受け入れたとの点は否認する。(7)のうち、被告が労連に対し同月一三日の団体交渉において被告主張のとおりの最終回答を行ったことは認めるが、右回答が年末最終労働日は平常勤務日として取扱う趣旨であることは否認する。(8)のうち、労連が被告主張のとおりの書面を組合員に配布し、職場討議を重ねたのち、同年六月一三日組合大会を開催して被告最終回答を受諾する旨決定したこと、同月一四日に労連が被告に対し受諾通知書をもって受諾の通知を行い、時短に関する合意が成立したことは認めるが、その余の事実は否認する。
なお、同年五月一一日以降の労使交渉の経過は以下のとおりである。
(一) 同日午後四時ころから開催された下山実労連委員長及び誉田義道副社長によるトップ交渉において、誉田副社長から、新設する二〇日間の休日のうちの一日に一月四日を含ませ、一月五日を従来どおり出初めの日の取扱いとするが、一二月二九日は平常勤務日の取扱いをしたい旨の提案がなされたが、下山委員長は一二月二九日の取扱いについては直ちに拒否した。
(二) 労連と被告は、同年五月一一日午後七時三〇分ころから同月一二日未明にかけて団体交渉や三役交渉(労連執行部と被告との非公式交渉)を重ね、右三役交渉の最終段階において、年末最終労働日の取扱いは従来の慣行どおりとする旨の合意を含めて時短問題に関する実質的な合意が成立した。
(三) 同月一三日午後の団体交渉において、被告から時短に関する最終回答が文書でなされたが、その席上、久保健三労連書記長が年末最終労働日の取扱いは今後とも従来の慣行どおりとされるかについて確認を求めたところ、誉田副社長がそのとおりであると返答し、ここに年末最終労働日の取扱いが従来どおり維持、存続されることが労使間で明確に確認されたものである。
2 抗弁2について
冒頭の事実は否認する。
(一)の事実は認める。
(二)の事実は争う。
(三)の事実は否認する。
第三証拠(略)
理由
第一雇用契約の存在等
請求の原因1及び2の事実はいずれも当事者間に争いがない。
第二年末最終労働日をめぐる労使慣行の存在について
一 請求の原因3(一)のうち、被告の就業規則上、従来、従業員の勤務時間は始業午前八時、終業午後四時(一日の実働時間七時間)と定められ、函館造船所及び室蘭製作所の従業員は通常の日はこれに従って勤務していたこと、函館造船所及び室蘭製作所においては昭和四四年から年末最終労働日の退場時刻は午後二時とされ、午後二時以降勤務した者に対して時間割賃金が支給されていたことについては当事者間に争いがなく、右争いのない事実に(証拠略)を総合すれば、以下の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。
1 函館造船所及び室蘭製作所において、年末最終労働日は、昭和二八年ころから、被告の業務命令により、正午で作業を終了し、午後一時から各職場ごとに大掃除をして午後二時一〇分に退場するが、午後二時一〇分に退場した者の賃金は控除されず、業務の都合により午後二時以降勤務した者に対しては本来の賃金に加えて時間給が支給されるという取扱いがなされるようになった。
2 右午後二時一〇分退場の取扱いは、昭和四四年五月二六日に被告と労連の間で調印された労働協約により従来行われていた終業一〇分後出門という制限が廃止されたことに伴い、昭和四四年以降の年末最終労働日の退場時刻は午後二時と変更され、また、同年以降、右特別支給される賃金は、従業員に有利な時間割賃金を基礎に計算される取扱いになり、これらの年末最終労働日の取扱いは昭和五〇年まで続けられた。
3 一方、仕事始めの日である一月四日(同日が日曜日のときは一月五日。以下、「出初めの日」という。)については、昭和二八年ころから、午前九時に出勤し、年頭の挨拶を終えてから午前一一時(但し、昭和五二年以降は午前一〇時三〇分)に退場するという取扱いがなされるようになった。
4 右のような年末最終労働日及び出初めの日の取扱いについては、就業規則上とくに定めはなく、この点に関する労働協約も存しなかったが、ほぼ毎年一二月二〇日前後に、被告が総務部長または総務部次長等の名で各部課長に対して、「年末年始の勤務について」と題する書面により右の取扱いを通達し、各部課長が各職場の従業員にこれを指示するという形で運用されてきた。
5 被告は、昭和三八年一二月になされた労連との団体交渉において、同年の年末最終労働日である一二月二八日は定時(午後四時)まで勤務してもらいたい旨申し入れたところ、労連の反対により同日は従来どおり勤務することになったことがあるが、これ以降後記昭和五一年の時短交渉時まで被告から年末最終労働日の取扱いを廃止、変更したい旨の申入れがなされたことはない。また、昭和四三年一二月の団体交渉のときのように、労連が団体交渉の席上でその年の年末最終労働日及び出初めの日の取扱いについて確認を求め、被告が従来の取扱いどおり行う旨の回答をしたこともあったが、昭和四〇年代後半においては、被告と労連との間で右取扱いについてとくに協議したこともなく、被告側も年末の定例業務のひとつとして前記の通達を行っていた。
二 以上の事実によれば、函館造船所及び室蘭製作所においては、年末最終労働日の取扱いについて、就業規則の終業午後四時との規定にもかかわらず、従業員に有利な取扱いとして、従業員は午後二時一〇分に退場し、午後二時以降勤務した者に対しては本来の賃金に加えて時間給が支給されるという取扱いがなされるようになり、昭和四四年からは、午後二時退場となり、また、右時間給も時間割賃金となるなどの従業員に有利な変更はあったが、昭和五〇年に至るまで二〇数年にわたり右取扱いが反覆、継続されてきた事実があるうえ、その間昭和三八年に定時まで勤務してほしい旨の被告からの申入れがあったほかは、この取扱いを廃止または不利に変更する旨の申入れもなく、原告らを含む従業員と被告は、この取扱いを当然のこととして行ってきたものであるから、これによる意思を有していたものと認められる。従って、少なくとも昭和五〇年当時には、右年末最終労働日の取扱いは、労使間における慣行として確立し、以後両者を拘束する内容となっていたものというべきである。
ところで、被告は、年末最終労働日の午後二時一〇分または午後二時退場の取扱いは、被告がその裁量により毎年その都度通達によって指示して勤務を二時間免除してきたにすぎず、また、午後二時以降に勤務した者に時間割賃金を支給したのも衡平上の見地からとくに恩恵的措置として行ったものであって、右取扱いは当然の慣行とはいえない旨主張する。しかしながら、右取扱いが形式上は毎年総務部長等の通達による指示に基づいて行われていたとしても、そのことをもって慣行の存在を否定するものとはなしえないばかりか、かえって後記認定のとおり、被告は、労連及び別組合との時短交渉において、年末最終労働日及び出初めの日のような不完全就労日の存在を当然の前提とし、その廃止を企図してきたのであって、このことは、とりもなおさず、被告において年末最終労働日等の取扱いを確立された慣行として認識していたことを示すものであるから、この点に関する被告の主張は採用できない。
第三時短に関する労使間の合意と年末最終労働日の取扱いについて
一 抗弁1のうち、被告が昭和五二年五月一三日の団体交渉において、労連に対し、被告最終回答書をもってその主張する内容の回答を行ったこと、労連が同年六月一三日の組合大会において右回答を受諾する旨決定し、同月一四日、被告に対し受諾通知書をもってその旨の通知をしたことは当事者間に争いがなく、右争いのない事実に(証拠略)を総合すれば、以下の事実が認められる。
1 昭和五〇年の時短交渉の経過
(一) 労連は、被告に対し、同年二月、春闘要求事項のひとつとして、「(1)一日の所定労働時間を七時間とし、隔週土曜日を有給の休日とする。(2)年末年始の休日を一二月二九日から一月四日までとする。(3)八月上旬に連続三日間の有給の夏季休暇を設ける。」旨の時短の要求を行ったが、労使間において右要求についてとくに協議はなされなかった。
(二) そして、労連は、同年の秋季年末闘争の要求事項のひとつとして、「一日の労働時間を七時間とし、週休二日制の実現を図ることを目標とするが、当面は、隔週休二日制の実施を要求する。」旨の時短方針を打ち出し、同年一〇月、被告に対して右の申入れを行った。これに対し、被告が一日の労働時間を増やさないで単に休日を増やすことは企業競争力を低下させることになるので応じられないと回答したところ、労連から継続協議したいと申入れがなされ、労使で構成する時短小委員会でこの問題を検討することになった。そして、右委員会は、昭和五一年一月から四月にかけて開催されたが、年間総労働時間数の問題等について結論が出ず、結局、時短問題については団体交渉の場で協議すべきであるということになった。
なお、別組合からは、被告に対し、昭和五〇年一〇月ころ、一日の労働時間を八時間とし、完全週休二日制を実施してほしい旨の要求がなされた。
(三) 被告は、同年一二月二〇日、総務部長名で各部課長に対し、年末年始の勤務について従来と同様の通達をなし、函館造船所及び室蘭製作所の従業員は、同月二九日は午後二時に退場し、翌年一月四日は午前九時に出勤して午前一一時に退場した。
2 昭和五一年の時短交渉の経過
(一) 労連は、同年二月、春闘要求事項のひとつとして前年秋になした時短要求に、「(1)年末年始の休日を一二月二九日から一月四日までとする。(2)八月上旬に連続三日間の有給の夏季休暇を設ける。」ことを付加して要求する方針を決め、同年三月、被告に対して右要求をしたが、その際、労連は、正午で作業を終了して午後二時に退場する年末最終労働日や午前九時に出勤し事業所長の年頭の挨拶を聞くだけで午前一一時に退場する出初めの日のような不完全就労日は廃止して休日にすべきである旨主張した。また、別組合も、被告に対し、右のような不完全就労日は休日にすべきであるとして、一二月二九日及び一月四日を年末年始の休日に含めるよう要求した。
(二) 被告は、労連及び別組合に対し、同年四月三〇日から同年五月一日にかけてなされた各団体交渉において、賃上げ等の諸要求に対する最終回答に併せて時短要求に関して以下の最終回答をなした。
(1) 時短実施の大綱は次のとおりとする。
(イ) 一日の所定労働時間を七時間一五分とする。
(ロ) 毎月第三土曜日を休日とする。但し、その週に祝祭日または慣例の有給休日があるときは、その月内で調整する。
(ハ) 右(ロ)のほかに、指定休日を年間四日間設ける。
(2) 以上の実施は、就業規律の確立とその維持とを前提とし、被告と組合が協力して本年八月以降の実施を目途にその実効をあげることに努めるものとする。
時短の細部実施要領については、被告と組合が協議して決めるものとする。
(三) 右の被告の回答は、従来の一日の労働時間を一五分延長し、そのかわり年間休日(当時七〇日間)を一六日間増やし、また、従来の不完全就労日は廃止して年間二七九日の出勤日はすべて午前八時から午後四時一五分まで勤務するなどというものであり、労連執行部もこの前提に立って右最終回答を了承した。
(四) 労連は、同年五月七日及び同月八日にわたって組合全員臨時大会を開催し、被告の最終回答について票決を行ったところ、賃上げ等の最終回答については受諾するが、時短に関する最終回答については、労連執行部の予想に反し、一日の労働時間を一五分延長することには応じられないとして回答を受諾しない旨の決定がなされた。そして、労連委員長は、会社に対し、同月一二日、右票決の結果を通知したが、その際、時短問題について交渉を再開するよう申し入れた。
なお、別組合は、同年五月、組合全員大会を開いて時短要求を含む春闘要求事項に対する被告最終回答について票決を行い、すべて受諾する旨決定し、被告に対し、その旨通知した。
(五) その後、被告と労連は、同年六月二八日に開催された夏季一時金をめぐる団体交渉の席上で時短の問題についても協議したが、時短問題の解決には一日の労働時間の延長が不可欠であるとする被告側とそれに反対する労連側とが対立して折り合いがつかず、被告は、時短についての協議終了の目途を同年一〇月末日までとし、それまでの暫定措置として同年八月九日を休日とする旨の提案をなしたが、労連側の了解を得るには至らなかった。そして、同年七月三日ころの団体交渉において、被告は、労連に対し、時短についての協議終了の目途を同年一二月末日とし、それまでの暫定措置として同年八月九日に加えて同年一〇月二三日を休日とする旨提案したところ、労連は、同年七月六日開催の臨時大会において右提案を受諾する旨決定し、同月七日、労連委員長が被告に対しその旨の通知をなしたが、結局、一日の労働時間を延長するなどの時短に関する合意は年内に成立するに至らなかった。
(六) ところが、前記被告最終回答を既に受諾して時短の実施を待っていた別組合が、被告が労連との交渉において暫定休日を二日設けたことに強く反発したため、被告は、同年八月初めに別組合の執行部と協議して、同年一二月二九日を別組合の要求による暫定休日にするが、その発表の時期、方法は被告に一任してもらう旨取り決め、同年八月一〇日ころ、労連執行部に対してもこの旨を申し入れてその了解を得た。
(七) 被告は、同年一二月二五日の労連との団体交渉の席上において、同月二九日を会社都合による臨時休業日とする旨申し入れ、同月二五日、函館造船所においては総務部長名で、室蘭製作所においては所長名で、それぞれ各部課長に対する「年末年始の勤務について」と題する書面により、「一二月二九日は会社都合による臨時休業日とし、同月二八日は午後四時退場とする。昭和五二年一月四日は午前九時出勤、午前一〇時三〇分退場とする。」旨の通達を発し、従業員は、右指示に従って勤務した。
3 昭和五二年の時短交渉の経過と時短の合意の成立
(一) 昭和五一年一二月一八日、労連執行部は、時短問題に関し、一日の労働時間を一五分延長することになっても隔週土曜休日制を確立するとの前提に立ち、そのために、「(1)第一年度(昭和五二年)は、年間二〇日間の休日増を実施するが、これには不完全就労日である一二月二九日及び一月四日を含まない。(2)第二年度(昭和五三年)は、年間二四日間の休日増を実施する。(3)第三年度(昭和五四年)以降は、一日の労働時間を一五分削減する。」との方針を打ち出し、この方針を労連内部に定着させるために職場討議を重ねていたが、昭和五二年二月五日、右方針が組合員により支持されたとして、被告に対して右方針に基づく要求をなすに至った。
(二) これに対し、被告は、同月二三日に開催された労連との団体交渉の席上で、「時短の実施要領大綱」として文書により概ね次の回答(以下、「二月二三日回答」という。)をなし、併せて就業規律の基準について具体的、詳細な提案をなした。
(1) 始業時刻を次のとおり定め、一日の勤務時間を八時間一五分(実働時間七時間一五分)とする。
始業 午前八時
終業 午後四時一五分
昼食休憩時間 正午から午後一時
(2) 被告と組合は、互いに協力して、就業規律の維持、遵守に努力する。
(3) 年間の所定労働日数を二七七日、総労働時間を二〇〇八時間一五分と定め、現行の週休日及び慣例の有給休日のほかに、次のとおり一八日間の休日を設ける。
(イ) 毎月の第三土曜日(合計一二日)
(ロ) 年末年始の休日として、現行のほかに一二月二九日及び一月四日(合計二日)
(ハ) 夏季休日として現行八月の第一土曜日のほかに第二月曜日(一日)
(ニ) 盆休日として七月一三日(一日)
(ホ) その他の指定休日二日(二日)
(注) 一二月二八日及び一月五日は平常勤務日とする。
(三) 以上のとおり、二月二三日回答は、従来の被告の基本方針に基づき、一日の労働時間を延長して実働七時間一五分として年間総労働時間を定めたうえ、休日増(一八日間)による時短を実施するが、その際、不完全就労日を廃止するとともに厳格な就業規律の基準を完備したうえ無駄な時間をなくして効率化を図ることに重点が置かれていたものであった。これに対し、労連は、要求した年間休日数が充たされておらず、また、新設の休日に従来の不完全就労日である一二月二九日及び一月四日を含めることを不満として二月二三日回答に反対したが、新たな年末最終労働日となる一二月二八日及び出初めの日となる一月五日を平常勤務日とすることについてはとくに異議を出さなかった。
なお、被告は、同年二月二三日、別組合に対しても労連に対するのと同一内容の回答をなしたが、別組合は、要求した休日数に足りないとしてその受諾を拒絶した。
(四) 被告及び労連等は、その後も新設休日数等について交渉を重ね、同年三月二三日に開かれた団体交渉において、被告は、労連に対し、二月二三日回答の一部を修正し、年間の所定労働日数を二七五日、総労働時間を一九九三時間四五分とし、年間二〇日間の休日を新設する旨の回答をなし、時短の早期実施に向けて就業規律の基準の設定のための話し合いに入りたい旨の提案(以下、「三月二三日回答」という。)をなし、これに対し、労連は、新設休日二〇日間(二月二三日回答よりも二日間増)を一応の成果と認め、時短実施の早期実現に向けて就業規律問題等について時短小委員会で検討することを了承した。
しかし、右委員会では、新設休日二〇日間のうちに一二月二九日及び一月四日を入れることについて労連側委員が強く反対し、また、年の途中から実施になる昭和五二年の新設休日数について、労連側は一三日間を主張したのに対し、被告側委員は一一日間を主張して対立したことから、同年四月二四日、右委員会での検討を打ち切り、再び団体交渉の席上で右の問題等について協議することになった。
(五) そして、同月二八日及び同月三〇日に被告、労連間で団体交渉がもたれたが、そこでも、労連は、年間二〇日間の休日増は要求にかなうものであるが、右休日に一二月二九日及び一月四日を入れることには反対である旨主張し、三月二三日回答の線は譲れないとする被告と強く対立して交渉は進展しなかった。
そこで、被告と労連は、右膠着状態を打開するため、同年四月三〇日、団体交渉を一時中断して、誉田義道副社長(以下、「誉田副社長」という。)及び中島巖取締役総務部長(以下、「中島総務部長」という。)らと労連の下山実委員長(以下、「下山委員長」という。)及び高橋勲夫副委員長らの執行部による非公式、非公開の交渉(トップ交渉または三役交渉。以下、「トップ交渉等」という。)で折衝することになり、同日午後から断続的にその交渉を行ったところ、中島総務部長らは、まず、二月二三日回答及び三月二三日回答を基本としその一部を修正する形で、「年間二〇日間の新設休日には、年末年始の休日として現行(一二月三〇日から一月三日まで)のほかに一月四日を含めるが、一二月二九日の勤務は現行どおりの取扱いとし、一月五日は平常勤務日とする。」旨の妥協案(以下、「第一次妥協案」という。)を提示したが、この案は、形式上は年間総労働時間を一九九三時間四五分のままとしながら、不完全就労日の廃止という従来の基本方針を後退させ、一二月二九日の勤務を一部免除する(なお、被告側は勤務を二時間免除するという認識であった。)ことによって年間総労働時間を実質的には一九九一時間四五分にしようというものであった。これに対し、下山委員長らは、一二月二九日を年間二〇日間の休日からはずし、同日を従来どおりとする点は労連の要求に近づいたものとして評価はするが、年間総労働時間を一九九〇時間以内とすべきであり、また、昭和五二年の新設休日は一三日間にすべきであるなどとして、第一次妥協案を受け入れるには至らなかった。そこで、被告側は、さらに第一次妥協案を修正し、「一月四日を休日とするが、一二月二九日を平常勤務日(始業午前八時、終業午後四時一五分)とし、一月五日を従来の出初めの日の取扱い(午前九時出勤、午前一〇時三〇分退場)とすることで、年間総労働時間を一九八八時間とする。」旨の提案(以下、「第二次妥協案」という。)をなしたが、これについてはとくに協議がなされないまま、時短交渉は五月の連休明けに持ち越されることになった。
(六) 被告と労連は、同年五月四日以降、賃上げ等の春闘要求事項と併せて時短問題についても団体交渉等を重ねたが、同月一一日から同月一二日未明にかけて断続的に行われたトップ交渉等の途中で、被告側は改めて第二次妥協案を提示し、交渉の結果、最終的に、「(1)年間二〇日間の新設休日に、年末年始の休日として一月四日を入れる。(2)一月五月は従来の出初めの日の取扱いとする。(3)時短実施は同年六月一六日からとし、時短実施に伴う同年の新設休日は一二日間とする。」ことで労連執行部の一応の了解が得られるに至った。
その際、被告側は、一二月二九日は当然平常勤務日(始業午前八時、終業午後四時一五分)であるとの認識であったが、労連執行部からはこの点に関する質問や異議は出されなかった。また、右のとおり時短実施に伴う同年の新設休日については、それまでの被告回答に一日増やした一二日間とする点で合意はなされたが、この増やした一日について、被告側は同年の飛石連休の谷間となる同年九月二四日をあてる旨の提案をなしたのに対し、労連執行部は、毎月の所定労働日数を平均化すべきであるという立場から一二月に新設休日を設けるべきであると主張し、昭和五一年は別組合の要求により一二月二九日が休日とされたので、今回は労連からの要求に従って昭和五二年一二月二九日をとくに休日として欲しい旨の申入れをしたが、時短実施に伴う昭和五二年の新設休日の具体的なあてはめについては別組合との調整も必要であったので、このときの交渉においては被告、労連間で明確な取り決めはなされなかった。
(七) 被告総務部労務課労務係長山田功は、前記トップ交渉で最終的に合意された内容に基づいて賃上げ等の春闘要求事項及び時短要求に対する被告最終回答書原案を作成し、同年五月一三日午前、労連執行部とその内容及び文言の確認を行ったが、その確認作業の段階において、労連側からの要求により、賃上げ等に関して何箇所か加筆訂正されたほか、被告が労連との間で裏覚書を締結して処理するつもりで右原案にはとくに記載していなかった一月五日の取扱いについて、労連側から従来の交渉の経緯を踏まえてこれを明記すべきであると要求され、被告側もこれに応じて、右原案に「一月五日は従来の出初めの日の取扱いとする。」旨の文言をとくに付加するに至ったが、一二月二九日の取扱いについては労連側から何ら質問や確認はなされなかった。
(八) そして、被告は、労連に対し、同年五月一三日午後に開かれた団体交渉において、右のとおり労連執行部との間で確認済の「賃上げ・諸要求に対する会社最終回答」と題する書面(被告最終回答書)により、春闘要求事項に対する回答を行うとともに、時短要求に対し、概ね以下のとおり回答した。
(1) 時短の大綱は、次のとおりとする。
(イ) 一日の勤務時間を八時間一五分(実働七時間一五分)とし、始終業時刻を次のとおり定める。
始業 午前八時
終業 午後四時一五分
昼食休憩時間 正午から午後一時
(ロ) 年間の所定労働日数を二七五日、総労働時間を一九九三時間四五分(一か月の所定労働日数は二二・九日、所定労働時間は一六六・一時間)とする。
(ハ) 現行週休日及び慣例の有給休日のほかに、次のとおり年間二〇日間の休日を設ける。
<1> 毎月の第三土曜日(一二日)
<2> 年末年始の休日として現行のほかに一月四日(一日)
※ 一月五日は従来の出初めの日の取扱いとする。
<3> 夏季休日として現行の八月の第一土曜日のほかに第一金曜日(一日)
<4> 指定休日として慣例の有給休日の少ない月の第一土曜日(六日)
なお、この六日間の休日の指定等は、今後三年間の平均年間所定労働日数二七五日の範囲内で毎年一二月中に翌年分を組合と協議して決める。
<5> 昭和五二年度のカレンダーは別紙のとおりとする。
(2) 時短の実施については、被告と組合は互いに協力して就業規律の確立とその維持をはかるものとし、同年六月一六日から実施する。
被告と組合は、目下協議中の就業規律の基準及び細部の実施要領について早急に決定するものとする。
以上の回答がなされたところ、右団体交渉の席上において、労連書記長兼函館分会副委員長の久保健三から、「一二月二九日は今年だけで来年からはないな。」という質問がなされ、誉田副社長が、「ない。」と答えたが、右質問は、本来、指定休日は慣例の有給休日の少ない月の第一土曜日であるはずなのに、昭和五二年度は前記の経過により例外的に同年一二月二九日が指定休日とされたことに関し、右取扱いは本年限りで来年以降は原則どおり運用されるかどうかの確認を求めたものであり、回答もそれを確認するものであった。そして、右団体交渉において、昭和五三年以降の一二月二九日の勤務時間等の取扱いについての質疑、応答は行われなかった。
(九) 労連は、昭和五二年五月一六日、組合全員大会を開いて被告最終回答の諾否について票決を行い、賃上げ等の春闘要求事項に対する被告最終回答を受諾する旨決定し、時短に関する被告最終回答については、前項(1)記載の時短の大綱については了承し、前項(2)記載の就業規律の基準及び細部の実施要領についてはその交渉をすすめる旨の決定をなし、同月一七日、下山委員長は、被告に対し、文書でその旨を通知した。
そして、労連は被告との間で前項(2)記載の細部の実施要領等について交渉を重ね、同月二五日、これについて合意をみたことから、労連常任委員会は、同月二六日、組合員に対し、「時短の実施内容」として前項(1)及び(2)とほぼ同一の記載をし、「時短実施に伴う細目」として就業時間の指導基準や労働時間等の取扱いなどを記載した「労働時間短縮最終回答に関する提案」と題する書面を配布してその諾否について提案をなし、この点に関して職場討議を重ねた後、同年六月一三日、労連(当時の組合員総数二三一二名)は組合全員大会を開いて票決したところ、有効投票数一九六九票中賛成票一三〇六票によりこれを受諾する旨決定し、被告に対し、同月一四日、受諾通知書をもって、「時短実施に伴う細目」を含めた時短に関する被告回答を受諾する旨通知した。
ここに労連、被告間に被告最終回答書記載の時短に関する大綱及び実施要領について合意が成立するに至った。
(一〇) 一方、被告は、労連との交渉と並行して別組合とも時短に関して交渉を重ねていたが、同年五月一三日、別組合に対し、前記(八)の(1)及び(2)と同一の回答を行い、別組合は、同月一四日の組合全員大会でこれを受諾する旨決定し、被告に対し、その旨を通知した。
4 時短に関する合意成立後の年末最終労働日の取扱い
(一) 被告は、同年一二月二三日、総務部長名で各部課長に対し、「年末年始の勤務について」と題する書面により、「一二月二八日の退場は午後四時一五分とし、同月二九日は指定休日とする。同月三〇日から一月四日までを年末年始の休日とし、同月五日は午前九時出勤、午前一〇時三〇分退場とする。」旨を指示し、函館造船所及び室蘭製作所の従業員は右指示どおり勤務をした。
(二) 被告は、昭和五三年一二月二〇日、前記と同様の総務部長名の書面により各部課長に対し、「一二月二九日の退場は午後四時一五分とする。同月三〇日から一月四日まで年末年始の休日とし、同月五日は午前九時出勤、午前一〇時三〇分退場とする。」旨の指示をしたところ、労連側から一二月二九日の勤務は従来の午後二時退場ではないかと異議が出され、同月二五日に開かれた団体交渉においても議題とされたが、「前任者からの引き継ぎもあり、間違いはないということなのでこのような指示をした。」とする当時の取締役総務部長相馬宏二らと労連の交渉は物別れに終った。そこで、労連側は、やむなく同月二九日は午後四時一五分まで勤務したが、右取扱い及び当時紛糾していた希望退職実施問題に対する抗議として、昭和五四年一月五日にストライキを行った。
(三) その後も被告と労連は希望退職問題とあわせて一二月二九日の退場時刻についても交渉を重ねていたが、容易に結着がつかなかったため、労連は、昭和五四年一二月に北海道地方労働委員会に右退場時刻について斡旋を申請し、斡旋委員から、「経過措置として同年一二月二九日の退場時刻は午後二時か午後二時一五分とする。昭和五五年以降の退場時刻は午後四時一五分とする。」旨の試案が出されたが、労連側の受け入れるところとはならなかった。被告は、斡旋申請がなされていたことから、昭和五四年の年末年始の勤務について文書による指示は行わず、口頭で昭和五三年と同様の指示をしたところ、これに対し、函館造船所の従業員は、同年一二月二九日については午後四時一五分まで勤務したが、函館分会所属の組合員は昭和五五年一月五日にストライキを行った。しかし、室蘭製作所においては、同日に予定されたストライキを回避するため、同所長池田嬉進と室蘭分会委員長木谷正とが話し合って、昭和五四年一二月二九日は暫定措置として午後二時退場、昭和五五年からは午後四時一五分退場と決め、室蘭製作所の従業員は、昭和五四年一二月二九日午後二時に退場した。
この点に関し、同所長は本社に相談することなしに午後二時退場の取扱いをしたとして譴責処分を受けたが、労連が函館造船所と室蘭製作所で取扱いが異なるのは不公平であると抗議したため、被告は、その後、午後四時一五分まで勤務した函館造船所の従業員に対し、時間割賃金を支給した。
(四) 一二月二九日の退場時刻に関する被告及び労連の態度は、昭和五五年、昭和五六年も変わらず、被告は、労連の抗議にもかかわらず、年末時期に総務部長名の文書で前記(二)と同様の指示をなし、函館造船所及び室蘭製作所の従業員は、一二月二九日は午後四時一五分まで勤務した。
(五) 一方、別組合は、一二月二九日は定時(午後四時一五分)退場であることに疑問の余地はないとしており、その所属組合員は、昭和五三年以降一二月二九日には午後四時一五分まで勤務し、被告に対し、何ら異議を申し立てていない。
以上の事実が認められ、(証拠判断略)、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
二 そこで、以上に認定した事実関係を前提として、年末最終労働日の取扱いについての労使慣行が破棄されるに至ったか否かを検討する。
前記認定の時短交渉の経緯、とくに、
1 被告は、労連及び別組合からの時短要求に対し、一日の労働時間を延長して休日増による時短に応ずるが、その際、年間総労働時間という総枠を設定するのみならず、従来の労働時間に関する制度を見直し、年末最終労働日等の不完全就労日を廃止するとともに、就業規律の基準を確立することに重点を置いていたものであるところ、労連及び別組合も被告の右基本方針を十分認識していたこと、
2 被告は、右基本方針に基づき、時短交渉においては終始一貫して不完全就労日の廃止を求めてきたが、労連との交渉の過程で右方針を後退させざるをえなくなり、最終段階において、年間総労働時間を実質的に減らすなどの方法として一月五日を出初めの日の取扱いをするという妥協案を提示し、不完全就労日を残すことになったが、右時点においても、年末最終労働日は平常勤務日とする旨の認識であったこと、
3 右のことから、被告は、最終回答書に一月五日については不完全就労日である出初めの日の取扱いをする旨明記しているのに対し、年末最終労働日の取扱いについては何らの記載をしていないのであり、他方、労連側は、一月五日の取扱いについて実質的に合意が成立した時点においても、また、最終回答書案を検討した段階においても、さらには団体交渉の席で正式な最終回答がなされた際にも年末最終労働日の取扱いについて質問したり確認を求めたことはなく、昭和五二年六月一四日、被告最終回答を異議なく受諾してその旨通知していること、
4 右時短に関する合意において、被告と労連は年間所定労働日数を二七五日、年間総労働時間を一九九三時間四五分と協定しているのであるから、年間所定労働日(平常勤務日)における労働時間は、一日七時間一五分であることが明白であること、
5 労連との交渉と並行して被告と時短交渉を行っていた別組合は労連に対するのと同一内容の被告最終回答を受諾したが、別組合は、年末最終労働日の退場時刻は午後四時一五分と変更されたものと認識し、その所属組合員は、これに従って就業していること
を併せ考慮すると、労連及び被告間における本件時短に関する合意が最終的に成立した際、年末最終労働日の退場時刻を午後四時一五分と定めたものと認めるのが相当であるから、従来の年末最終労働日の取扱いについての労使慣行は合意によって破棄されたものと認められる。
三 以上のとおりであるから、年末最終労働日の取扱いについての労使慣行がその後の労使間の合意によって破棄されたとする被告の主張は理由がある。
第四結論
よって、原告らの請求は、その余の点を判断するまでもなく、いずれも理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 見満正治 裁判官 小川育央 裁判官 二本松利忠)